Babaji’s Kriya Yoga
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クリヤー・ヨーガ グレイス・コース

ババジのクリヤー・ヨーガを実践する上で、このコースは非常に有益です。

みなさんのサーダナ(修錬)の質が全く違ったものになるでしょう。

次のことを今までに本当に誠実に考えたことがありますか: :

  • 規律と努力によってどこまで成長できるのか?
  • 恩寵とは何か、そしてこれは自己認識のために絶対必要なものなのか?
  • 人間のエゴは本当にひどいものなのだろうか?
  • 全ての人を愛さなければならないのか、それとも自分の義務を果たしさえすればいいのか?
  • 執着のために愛が小さくなってしまうのをどうしたら防げるのか、
  • 怒りや無関心のために愛が消えてしまうのをどうしたら防げるのか?
  • なぜ人生はこんなにも欲望、嫌悪、恐れで一杯なのか?
  • 恐れは必要なものなのか?
  • 自分の中の抵抗を克服するために、どうしたら意志を効果的に利用する方法を身につけられるのか?
  • 自分の人生に高次の意志は存在しているのだろうか?
  • もしそうなら、それとつながる方法をどうしたら身につけられるのか?
  • 目にすることができるもの(瞑想の中でも)が本当の自分、つまり真我なのだろうか?

Babaji’s Kriya Yoga Order of Acharyas は、通信講座を提供しています。イニシエーションを受けていても受けていなくてもかまいません。上に挙げた質問に答えを与えるように作られており、この講座によって、ヨーガの原理と修錬に対する理解が深まるだけでなく、ヨーガの過程が加速されます。

神性な真我を追い求めるとき、我々は自分の人間性を変化させることも追い求めなければなりません。ところが、我々は自分の性質を変えようとするのではなく、欲望・嫌悪・恐れからできた自分の習慣を受け入れようとだけすることが実に多いのです。そのために、暗い要素が光の要素と共に、前に出ようとし続け、我々の人生に現れ続けるのです。このグレイス・コースでは、自分の正しい部分と誤った部分とを明らかにするために、自分の欲望・嫌悪・恐れを掘り下げてよく調べてみます。

繰り返し起こる思考、終わりのない欲望、息苦しい嫌悪感と恐れの源を知ることによって、我々はエゴの要求がどんな状況においても絶えず我々に否定的な影響を与えているということに気づくようになります。本当に臆病なエゴは、我々を守るのではなく、我々を、我々の本当の性質、本当の力、世の中での本当の仕事から遠ざけてしまうのです。染み付いた習慣や本能を精査するので、弱い部分が増幅するかもしれません。しかし、この過程は当人だけができる、深くて本物の取り組みなのです。

エゴの欲望が留まろうとする力は、非常に強力なのでグレイス(恩寵)の支えなしでは克服することができません。エゴの留まろうとする意思を魂からの高次の意識に置き換えられるのは、グレイス(恩寵)だけなのです。

グレイス(恩寵)は、五要素と同じように自然の力であり、我々が認識しようがしまいが、五要素と同じでいつでもここに存在しています。恩寵は、受け入れられる状態にいる人なら誰でもいつでも利用することが可能なのです。

この講座は、ヨーガの修錬がどのようなものでなければならないのかということと、自分の思考、行動、人生に気づきをもたらす過程とを皆さんが理解できるように構成されています。

講座で取り上げられる修錬には、ババジのクリヤー・ヨーガの教え(気づきを伴った行動)を自分の人生に応用することが含まれています。教えは、ババジ、シッダ、シュリ・オーロビンド、マザーの作品から取られています。これらの教えの統合体が、ババジのクリヤー・ヨーガを表します。

この講座のレッスンに誠実に取り組めば、気づきと愛が育ち、皆さんの意識の様々なレベルに間違いなく変化がもたらされます。

1年目のレッスン

  • 恩寵と高雅な人生
  • 人間関係:他人とともに霊的旅路を歩む
  • マインドの力
  • 感情:敵、友
  • プラーナの微妙
  • 瞑想
  • 気づき 我々が唯一手にしているもの
  • 明確な方法、明白な結果
  • ヤマ:ヨーガの道徳規範
  • 識別によって条件付けを越える
  • タパス:修錬に情熱を注ぐ
  • クリヤー・ヨーガ:グル・ヨーガ

2年目のレッスン

  • 万能な社会と我々の場所
  • 完全なる明け渡し
  • クリヤー・ヨーガ:気づきを伴った行動
  • 魂に注意を向ける
  • 途上にある困難
  • カルマ:原因 パート1カルマ:原因 パート1
  • カルマ:原因 パート2
  • 集中のサーダナ
  • 目隠しゲーム:かくれんぼ
  • 恐れ:恐れを持たないで生きて安全ですか?
  • 死後の人生:知識に目覚める
  • 無限のアウム:人格的それとも非人格的?